欅並子の馬ウマ日記

競馬歴28年で、東京競馬場が主戦の競馬ライター、欅並子(けやきなみこ)がいろいろ書いてます。競馬予想、競馬文化にまつわるいろいろな出来事を、私目線でレポートします。競馬って、馬券を当てる以外にもいろいろ楽しいこと、ありますよね!(馬券も当てたいけどね)ほぼ毎日更新。

わたしが大好きだった馬【ビワハイジ】

ビワハイジ
1997年10月18日 京都競馬場 カシオペアステークス(OP)

こんにちは、欅並子です。

わたしが大好きだった馬シリーズ、3頭目はビワハイジです。

ビワハイジは、先にご紹介したヒシナタリーと同期で活躍した牝馬です。

ヒシナタリーと同期ではありますが、ヒシナタリーは外国産馬で全く路線がちがっていましたので、2頭が同じレースを走ったことは一度もありません。

 

ビワハイジは、2歳の6月に新馬勝ちをして、今で言うところの札幌2歳Sと阪神ジュベナイルフィリーズ(当時は札幌3歳S・阪神3歳牝馬Sというタイトルでしたが)まで負けなしでエリート路線を駆け上がりました。

ゲートも良くて常に好位置でレースをする優等生で、ジュベナイルフィリーズに至っては逃げ切り勝ちです。

ぬいぐるみなどのグッズも早々に発売され、すっかりアイドルホースの風格を漂わせます。

しかし、明けて3歳、チューリップ賞2着から、まさかの桜花賞15着。

立て直してオークスへ、と思ったら、なんとダービーに挑戦。17頭立て13着でレースを終えた後に左前脚の骨折が判明し、そこから1年半の長い長い休養を余儀なくされました。

 

変な話ですが、わたしが本格的にビワハイジのことを気にし始めるのは、その長い長い休養中のことです。

2歳では誰にも負けずに女王の座を掴んでも、その後のクラシック路線でみんなの期待通りに順調に走り続けられるかどうかはまた別、という厳しい現実も見せつけられつつ、それでも、良血の牝馬の身でありながら、そのまま引退という道を選ばず現役続行にこだわる姿勢に何か心を揺さぶられるものを感じました。

ビワハイジが1年半かけて復帰を模索しているあいだに、大好きだったヒシアマゾンとヒシナタリーは競馬場を去ってしまいました。

北海道の牧場ですっかり毒気の抜けたアマゾンとナタリーの姿を見て、

「競馬って、結構寂しいもんだな…」

なんて、センチメンタルな気持ちに襲われていたときに舞い込んできたのが、ビワハイジ復帰のニュースでした。

復帰戦まで少し時間があったので、わたしは横断幕を作ってハイジを競馬場に迎えに行くことにしたのでした。

 

それでできあがったのが、この横断幕です。

 

 

先日こちらに書いた横断幕に関する記事の中で、わたしは「ハイジの横断幕は2回しか使えなかった」と書きましたが、記憶っていい加減ですね。

よく考えてみれば、実際には4回も使っていました。

そのうち1回、1997年のエリザベス女王杯の時には、G1のパドックの場所取りという難関への挑戦でした。

その時は、まだ暗い午前3時に競馬場に行って門の前に並び、開門ダッシュでパドックのフェンスを獲得したのでした。

 

復帰後のビワハイジはカシオペアS(OP)5着、エリザベス女王杯(G1)7着、阪神牝馬特別(G2)7着と、健闘はするものの今ひとつ突き抜けない成績で4歳を終えます。

しかし、明けて5歳の1月京都牝馬特別(G3)で、ついに久しぶりの重賞制覇を果たします。

横断幕を出して応援した馬が、目の前で重賞制覇するというのはとても誇らしいものですね。ウイナーズサークルで、ビワハイジの背に乗った名手オリビエ・ペリエ騎手が片手を上げているシーンは忘れられないですね。

わたしもつい「ペリエ先生、ありがとう!」って叫んでしまいました。

 

その喜びも覚めやらぬ頃、またもや左前脚の故障が判明し、ついにビワハイジも引退してしまうことになりました。

でも、ビワハイジが引退したときには、ヒシアマゾンやヒシナタリーとの別れの時に感じたようなわびしさはありませんでした。

粘り強く現役に復帰して、その後きっちり重賞を勝ってからの引退ということもありましたし、わたし自身も復帰後のレースをすべて見届けて精一杯応援ができたので、思い残すことはありませんでした。

 

ビワハイジは、青鹿毛の中でも特に漆黒と言えるほど真っ黒な馬体に、いつでもキラキラ光る目が印象的でした。

400キロ台前半の小柄な馬体で、赤いメンコのせいもあるのでしょうが、どこから見ても女の子!って感じの可愛い馬でしたね。

ビワハイジの引退後の姿を牧場へ直接見に行くことはできませんでしたが、繁殖成績がよかったおかげもあって、最後まで消息が確かで、折に触れて年を重ねた姿をテレビなどで見る機会がありました。

最近競馬を知った人には、お母さんとしての方が有名かもしれませんね。

その話は、また改めて。