こんにちは、欅並子です。
雑誌「Number」1061号(10月20日発売)が競馬の特集だったので、先日、久しぶりに雑誌を購入して読みました。
わたしがその号のことを知り、買ってみるかと思い立ったのは、発売から1週間ほど過ぎた頃だったでしょうか。
書店に行ったら普通に売っているものと思い込んで行ってみたが、1冊も見当たらない。
はじめは、
「最近の書店は雑誌の取り扱い種類も絞ってるのかな。競馬って世間ではマイナーなのかな。イマドキは紙の雑誌自体あんまり売れないんだろうしね。寂しいな~」
なんて勝手に思っていたのですが、日を改めて、近所にある大きめの書店を2~3軒ハシゴしてもどこにもないのでさすがにおかしいなと思い始めました。
そんな折、TwitterでNumber編集部のこんなツイートを見かけました。
【増刷分について】
— Number編集部 (@numberweb) November 1, 2022
大変お待たせしております、Number1061「常識を疑え。/秋ウマ娘、走る!」増刷分について、すでに各ネット書店ではお買い求めいただけます。書店店頭分については地域により入荷日が異なりますので、各書店様にお問い合わせください。 pic.twitter.com/hfXaxfo6vO
「競馬はマイナー」「イマドキは紙の雑誌は売れない」というのは全くの見当外れ、なんと、この競馬&ウマ娘特集号は売れすぎて店頭から消えているという話だったのでした。
上記ツイートによるとネット書店には増刷分が行き渡っているようだったので、書店巡りはもうやめて、素直に通販で注文することにしました。
ほんとうは、店頭でパラッと中身を見て気に入ったら買おうかなぐらいのつもりだったのですが、そんな呑気なことではいけなかったようです。
事前の告知時点で、競馬やウマ娘ファンを中心に注目を集めており、発売初日の10月20日からAmazon、楽天などのネット書店を中心に売り切れ店が続出。翌21日に2刷を発表していた。
同誌の増刷は、21年11月に発売し、11万部を記録した「大谷翔平 2021完結編」以来、1年ぶりのことだった。ウマ娘特集号はすでに14万部を販売していることから、ウマ娘の人気の高さがうかがえる。
とのこと。
また、この記事の中には記載がありませんが、セブンネットショッピング、セブン‐イレブン一部店頭では裏表紙のイラストを使用したクリアファイルがついたものも販売されていたことも追い風になったようです。
そんなわけでわたしの頭に一瞬よぎった「競馬ってマイナーなのかな」という不安は杞憂だったことがわかりました。
ただ、このNumberの記録的な売れ方をもって「競馬は世間的にもメジャーな趣味だった。よかった!」って安心するのは違うかなと思っています。
だって、この雑誌が異常に売れたのって、どう考えても競馬の人気じゃなくてウマ娘の人気ですよね。
ウマ娘の人気があるということと、競馬の人気がある、ということは、同じことのようで全然意味合いが違うと思います。
なぜなら、ウマ娘は競馬をモチーフにしたキャラクターを扱ったコンテンツですが、ウマ娘のファンは、現実の競馬とは違うウマ娘独自の魅力の方に惹きつけられて集まっているとわたしは考えているからです。
わたしにとって、競馬の最大の魅力は「馬が走る」ことです。ウマ娘のような、ヒトっぽいものが走って織りなすドラマを喜ぶのは、「競馬が好き」とは違うよねって。
ウマ娘はまず最初アニメ作品として世の中に出てきました。その時のこともよく覚えていますが、わたし個人の率直な受け止めとしては「なんじゃこりゃ」でした。
牡馬も牝馬も一律に美少女の姿をしていること、モデルになった馬が生きた時代を超えてみんな同じ年頃の少女になっていることにも違和感しかなくて、初見からかれこれ5年、現状の大人気ぶりを見ても、アニメを見ようとかゲームをしようとかいう気持ちにはなれません。
もちろん、このようなわたしの考えが、古くからの競馬ファンの考えを代表しているとは思っていません。
ただ、わたしは、馬をヒトに置き換えたことでやっとこの競馬の世界を「おもしろい」と感じられる種類のファンと自分とでは、根本的に「好き」の方向性が違うんだろうなという感じがしている、ということです。
とはいえ、今回Numberの特集記事を読んでみて、少し自分の「好き」と共通する何かを感じる部分もありました。
というのも、わたしも「馬はヒトではない」と言いながら、実は、馬にヒトの言葉で自分の気持ちをしゃべらせる系の創作物は昔から好きだったんです。
たとえば、よしだみほさんの漫画「馬なり1ハロン劇場」は単行本も買い集めましたし、1990年後半あたりの頃に雑誌「優駿」で連載されていた高橋直子さんのコーナー(どうしてもタイトルが思い出せない)も好きでした。
今だとやっぱりおがわじゅりさんが第一人者になるのかな。
ファンはついつい競走馬にヒトの言葉で語らせたくなってしまう。
馬はヒトの言葉を話さないからこそ魅力的なのに。
競走馬の擬人化ってある種のタブーですよね。だからこそ、そうして生まれた創作物は、面白いけどちょっと後ろめたい。
わたしがウマ娘のことをあまり好きになれないのは、多分、そのタブーの超えっぷりが大胆すぎること、全然後ろめたそうじゃないことへの反感なのかなと思ったりします。
そんなん、好きな人が好きなように楽しめばいいだけなのにね。
その辺の「快・不快」の境界線って案外曖昧で難しいな、って思いました。