こんにちは、欅並子です。
先週は秋華賞があり、今年の牝馬の三冠レースが終了しました。
今週はいよいよ菊花賞ですね。
出走馬の情報などいろいろ気になることはあるのですが、わたしにとって菊花賞といえば、マヤノトップガンの思い出は外すことができません。
マヤノトップガンは、1995年の菊花賞馬です。
1995年はわたしが競馬を見始めた最初の年です。
その年は、サンデーサイレンスの初年度の産駒がクラシック戦線を席巻していました。皐月賞を勝ったジェニュイン、ダービーを勝ったタヤスツヨシはどちらもサンデーサイレンス産駒です。
皐月賞馬のジェニュインは天皇賞(秋)に出走するため三冠戦線からは離脱。(当時は、天皇賞(秋)が終わった後に菊花賞がありました)
ダービー馬のタヤスツヨシは、ダービー馬なのに低評価(データによると5番人気だったみたいですね)を受ける中、このレースで1番人気に推されたのはその年のオークス馬・ダンスパートナーでした。
ダンスパートナーもサンデーサイレンス産駒ですね。
オークスを勝ったあと、夏の間フランスへ遠征し、戻ってきたあと当時の牝馬三冠最終戦だったエリザベス女王杯へは進まず菊花賞に参戦しました。エリザベス女王杯は翌年から古馬に解放されることが決まっていたため陣営は「エリザベス女王杯は来年でも獲れる」と判断し、菊花賞に出走したとの記録が残っています。
有言実行というかなんというか、ダンスパートナーは確かに翌年古馬にも開放されたエリザベス女王杯を優勝してしまうのですから、大したものですよね。
と、ダンスパートナーの話になってしまいましたが、そんな菊花賞を制したのがマヤノトップガンでした。
マヤノトップガンはブライアンズタイム産駒。
前の年に三冠馬になったナリタブライアンもブライアンズタイム産駒でした。
1995年の菊花賞をわたしは京都競馬場で観戦しました。
その年が競馬にハマり始めた最初の年で、既に宝塚記念の時に競馬場へ行ってG1観戦デビューは済ませていましたが、菊花賞は特別なレースだと思っていました。
今でもこんな格言を使う人はいるかしら?
「皐月賞は最も速い馬が勝つ。ダービーは最も運の良い馬が勝つ。菊花賞は最も強い馬が勝つ」
関西在住だったこともあり、京都競馬場でその年の3歳で「最も強い馬」を決めるレースは特別だったのです。
前日には、コンビニで高い方の競馬新聞(新聞紙じゃなくて、白い紙に印刷されてるやつね。多分競馬ブックかな)を購入し、赤ペン片手に大検討です。普段はそんなことをしないのですが、あまりにも入れ込みすぎてほとんど眠れませんでした。
実際に競馬場に行った記憶よりも「前の晩は眠れなかった」という記憶ばかりが鮮明に残っている菊花賞だったりします。
京都競馬場はとんでもない人の多さで、レースがどうなったかなんて、ほとんど見えませんでした。最後の直線は地鳴りのような歓声に包まれ、ちょっと恐いぐらいでした。たしかこれが自分にとって2回目のG1観戦だったのですが、クラシックってやっぱり特別なんだと身をもって知りました。
勝ったマヤノトップガンは3番人気。しかし、わたしの本命ではありませんでした。
1番人気のダンスパートナーでもありません。
なんとなく覚えているのですが、わたしの本命は2番人気のナリタキングオーでした。ナリタキングオーは7着に敗れました。
マヤノトップガンは明けて3歳になってからのデビューで、それも4戦目まで勝ち上がることができず春の二冠には間に合いませんでした。
いわゆる夏の上がり馬として9月は神戸新聞杯、10月には京都新聞杯に出走し、どちらも2着に入って菊花賞への優先出走権を手にしました。(当時は、京都新聞杯も菊花賞トライアルだったんですよ~)
ちなみに、わたしが菊花賞で本命にしたナリタキングオーは京都新聞杯の勝ち馬です。
といっても、菊花賞を勝った時も、そのあと有馬記念を勝った時も、わたしはまだマヤノトップガンが特には好きではありませんでした。好きになったきっかけは、明けて4歳、3月に行われた阪神大賞典。
1996年の阪神大賞典といえば、今でも語り継がれる伝説のレースです。
ナリタブライアンと演じたマッチレース。あれでナリタブライアンに敗れたときに、逆に、これはすごい馬だと思ったのです。
その後のレースでは、相手によってはコロリと負けたりもするし、かと思えばみんながあんまり期待していないところで好走したりもする。でも、1番人気に推された2つのG1、宝塚記念と2度目の天皇賞(春)ではきっちり期待にこたえる走りを見せました。
1997年、5歳で天皇賞(春)を勝った後、秋は京都大賞典を叩いて天皇賞(秋)かジャパンカップ、有馬記念あたり走って引退かなんて話が出ていましたが、その前に屈腱炎が判明して引退となりました。
11月30日、阪神競馬場で引退式。宝塚記念のゼッケンをつけて登場。
マヤノトップガンといえば、常に鞍上の田原成貴騎手のスター性で注目を集めていた馬でもありました。雑誌などに掲載される写真も常に田原騎手にフォーカスが当たっているような。わたしはそれが少し嫌いでした(笑)
でも、引退式に集まったお客さんたちはみんなトップガンを見て、トップガンの名前を呼んで、拍手を送っていました。それを見てわたしはちょっとホッとしたのでした。
引退後は、牧場にも会いに行きました。
奥に見えるのが、マヤノトップガンですね。見学者の立ち位置からめちゃくちゃ遠かったけど、栗毛の馬体と白い筋の通った美しいお顔は紛れもなくマヤノトップガンなのでした。
お隣の放牧地にいるのはライブリマウント。砂の帝王ですね。ドバイにも行ったんだよ。この2頭はなんだかとても仲が良さそうでほっこりしたものです。
こうして見ると、よく追いかけたもんですね。
自分のコトながらちょっと感心しました。
今日は、菊花賞にあわせてわたしの思い出の馬のお話をしました。
また明日からは現代に目を戻して、レースの展望などしていきたいと思います。