欅並子の馬ウマ日記

競馬歴28年で、東京競馬場が主戦の競馬ライター、欅並子(けやきなみこ)がいろいろ書いてます。競馬予想、競馬文化にまつわるいろいろな出来事を、私目線でレポートします。競馬って、馬券を当てる以外にもいろいろ楽しいこと、ありますよね!(馬券も当てたいけどね)ほぼ毎日更新。

スプリンターズステークスの思い出【ヒシアケボノ】

こんにちは、欅並子です。

 

今週日曜日はスプリンターズステークスなんですね。

スプリンターズステークスって、わたしの中では暮れの中山で行われる「電撃の6ハロン戦」なんですが、現在の、初秋の中山開催最終日に行われるようになったのは2000年からです。

なんと、もう今の形になって20年以上も経過しているのですね。

電撃の6ハロン戦という言い方も大概古いのですが、今もまだ使われてはいるようです。

 

わたしにとっては、スプリンターズステークスといえば、ヒシアケボノですね。

ヒシアケボノは1995年に行われた第29回スプリンターズステークスの勝ち馬です。

ヒシアケボノは、同じ「ヒシ」の冠名を持つヒシアマゾンの1歳下、ヒシナタリーの1歳上の牡馬です。

ヒシナタリーと同じ栗東の佐山厩舎所属でした。

あの頃の「ヒシ」の馬で強かったのはアメリカからやってきた外国産馬で、見た目が真っ黒な馬ばかりだったのですよね。

わたしは今でも毛色が黒い馬を応援しがちですが、きっとあの頃の刷り込みが大きいのだろうなと思います。

 

1997年1月12日 洛陽S(OP) 京都競馬場

 

ヒシアケボノは、3歳の7月になんとか未勝利を抜け出した後、条件戦を連勝して秋の短距離戦線に名乗りを上げました。

スワンステークスで重賞初勝利し、その後、当時は10月の京都でスプリンターズステークスよりも先に行われていたマイルチャンピオンシップで3着、12月の中山スプリンターズステークスでG1を手にします。

 

ただ、ヒシアケボノが勝利したのはこの1995年に3歳で臨んだスプリンターズステークスが最後になります。

明けて4歳、この年に短距離G1に模様替えした高松宮杯(現・高松宮記念)に出走し3着、安田記念でも3着と好走しますが、その後はあまり成績が振るわず5歳の年末、思い出のスプリンターズステークスを最後に引退しました。

最後のスプリンターズステークスの着順は11着でした。

 

未勝利戦でダート1700メートルを使ったの以外は、ずっとマイル以下のレースに出走してきましたが、条件戦を含め勝ったのは、1400メートルのスワンステークスを除けばあとは全て1200メートルのレースだけですね。

根っからのスプリンターといっていいでしょう。

 

ヒシアケボノは、馬体重が大きいことで話題を集めた馬でした。

3歳でスプリンターズステークスを勝利したときの馬体重は560キロで、これがJRA史上最高体重のG1勝ちの記録だと言われていました。おそらく今もその記録は更新されていないんではないかと思います。

わたしも競馬場に足を運んで何度かパドックでヒシアケボノを見ましたが、確かにこれはパッとみて「わ、大きい」って感じの馬でした。

 

 

出走するたびに体重のことが話題になり、漫画のネタなどでもデブキャラ扱いでした。

5歳の時には、582キロという最高体重でマイルチャンピオンシップに出走しました。

(なお、出走という意味では、600キロ台で走った馬の記録もありますのでこちらは何の記録にも該当しません)

いずれにせよ、周りの馬より、100キロぐらい大きいわけですから、やっぱり「どこから見てもアイツがヒシアケボノだ」ってなるわけです。実際、1995年のスプリンターズステークスの映像をYouTubeで改めて見てみると、4コーナーで大外から伸びてくるヒシアケボノの姿はかなりのインパクトです。

 

まあ、周りと比べると明らかにデカイのはやっぱり面白いし、ネタにされるのもわかるのですが、実はかなり見た目も美しい馬でした。

最初に貼った方の写真は、まるでこっちを見ているような目線で撮れたので大変お気に入りで、引き延ばしてプリントしたのを部屋に飾っていたこともありました。

まあ、よく見りゃピントは甘いんですけども…。

 

そんなわけで、わたしにとってはスプリンターズステークスといえば、ヒシアケボノ、そして暮れの寒い中山競馬場がアタマに浮かぶのでした。

今年は、わたしのスプリンターズステークスのイメージを初秋の中山に移してくれるような名勝負が見られるでしょうか。